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厚生省は、とくにポストハーベースト用農薬を中心に残留基準の設定を大幅に増やし、92年4月から実施に移す予定である。 細かい話は省略するが、亜急性毒性、発ガン性、繁殖毒性、催奇形性、それに生体内運命(代謝)や生体の機能に及ぼす影響などの試験も同様に行なわれ、現代科学で無視できる範囲内に危険を納める方策がとられている。
むろん、人間のやることだから完全とはいえない。 とりわけ農薬が実際に使用される現場はわりに科学から遠いので、自治体の衛生研究所が行なう検査で、ときどき残留基準を上回っている農産物が見つかることもある。
これは建て前上はあってならないこと、実用上は望ましくないことだが、くつにパニックになる必要はない。 食事全体のなかで考えれば無視できる危険の範囲に納まっているからだ。

だが、こういうアラは反農薬論者のかっこうの攻撃の的になる。 たしかに、より絶対に近い安全を、という要求はあっていいし、そのための努力は必要だろう。
しかし、その絶対安全追求者が、無農薬食品は安全だと信じているのは、いくらなんでも滑稽すぎる。 彼らは、無農薬の食品は人間が長い「人体実験」の歴史を通じて安全性を確かめたものだから安心だという。
これがウソであることはEを引くまでもなく、ワラビのプタキロサィド、加熱した肉や魚のアミノ酸トリプトファンに由来するトリプB、トリプBといった発ガン物質が、人類の歴史ではごく最近発見された事実を指摘するだけでわかることだ。 同じく発ガン物質の3,4ベンッピレンはビフテキにもホウレン草にも含まれている。
意図的でない「人体実験」をいくら長い時間かけてやったところで、慢性毒性も発ガン性も催奇形性も、何一つチェックできていないのこれまでは、食品中の「危険」な物質の発見が散発的であったために、いくら「事実」を突きつけられても、彼らはちょっとよろめくだけで立っていることができた。 しかし、先にみたように、B・Eが天然農薬様物質の存在を指摘したあとは、もうダメである。
とても論理として耐えられない。 しかし、いさぎよく誤りを認めるなんてことはありそうにない。
反農薬論者のデマが、かなりの影響力をもっていたことを示す面白い(ほんとうは面白くない!)統計がある。 K氏が著書に引用しているもので、ガンを疫学的に研究している専門家と消費者運動に関心をもつ主婦では、ガンの発生因と考えるファクターがいかに食い違っているかを示すものだ。
出典は記されていないが、専門家のほうはアメリカの議会の委託による研究で、現段階でガン発生因のもっとも完全な分析と認められているものだ。 それにしても、これはみごとな対比である。
主婦は食品添加物と農薬に7割近い発生因を見出している。 専門家のほうは食品添加物が一パーセント、農薬に至ってはゼロである。

本書では食品添加物は取り上げないが、考え方の基本的枠組みは食品残留農薬と同じとしてよい。 ただ、食品添加物の摂取量は残留農薬よりはるかに多く、だから一パーセントというのはリーズナブルだが、もっと減らせるはずだ。
法的に規制しなくても個人レベルでリスクを小さくすることができ見苦しいデマを吐いてでも生き延びようとする悪あがきを見せられるだろう。 ると思う。
ガン科学者と主婦が考えているガン発生因の違い上のグラフを見れば、主婦がいかに農薬に対して妄想・偏見を抱いているかがわかる。 エコロジカル・ライフを唱えるまえに、少しは勉強もしなければ……さて、専門家が第一位にあげるのが食事である。
具体的には、食物繊維の不足、過食、脂肪過剰、栄養バランスの偏りからくるホルモン障害、栄養的に必要でありながら発ガン性をもつ微量元素(ニッケルやクロムなどが該当する)の摂取などだ。 結局、この専門家たちの分析から得られる教訓も、ガンの予防にもっとも有効なのは、食品が無農薬か有農薬か、添加物がはいっているかどうかにこだわることではなく、バランスよく控えめな食事を心がけることとタバコをやめることであり、Eが勧めることと同じである。
実行可能性を欠く仮想の実験だが、一群の家族は無農薬食品にこだわり、くつの一群は普通に市販されている食品をバランスよく食べる方針で生活するとしよう。 遺伝形質に特別に有意の差がなく、他の生活・環境条件が同じなら、五代先、十代先になっても後者の健康度や寿命が前者に劣ることはないだろう。
もしも無農薬食品の供給が充分にバラエティに富んでいないような場合には、むしろ前者のほうが劣るケースが予想できる。 有機合成農薬梨明期の汚点無農薬なら安全、食品残留農薬が危険だという無農薬=安全神話に根拠がないことは、もうこれ以上述べる必要はあるまい。
しかし、この神話が成立した背景には、それなりの物質的基盤がなくはない。 初期の有機合成農薬は、たしかにある種の「危険」をはらんでいたからだ。
初期の代表的な有機合成農薬にDDT(ジクロロジフェニールトリクロロエタン。 日本では71年に登録失効、以後は使われていない)がある。
この物質は1873年に合成されている。 19世紀は近代化学が植物からアルカロイドーアトロピン、キニーネ、カフェイン、ニコチンなど単離して構造式を決定したり、科学的錬金術よろしくさまざまな有機化合物を合成したりして喜んでいた時代だ。

DDTは、そういう時代に確とした使用目的はなく、単に新しい化学物質として合成されたものの一つだったにちがいない。 その後、この物質は、実験室の内部でときどき研究者たちに興味をもたれ、いじられていただけであった。
ところが、1939年、P・Mがその殺虫性を発見するに及んで急に脚光を浴びることになる。 そして防疫用、とくにマラリアを媒介する力を退治するのに卓効を示し、熱帯圏で多数の人命を救った。
そのため、Mは48年にノーベル医学賞を受けている。 第二次大戦後は、これが防疫用のほか農業用殺虫剤としても大量に使われるようになる。
急性毒性は非常に低いので、発疹チフスを媒介するシラミを駆除するために、人体に直接浴びせることもごく普通に行なわれた。 戦勝国アメリカでは、ヨーロッパ戦線でナチスを、太平洋戦線でジャップをやっつけたように、これで「害虫」を絶滅しようという雰囲気もあったらしい。
一方、敗戦国日本では、アメリカの物量と科学に負けたという認識があったから、実質的にはアメリカ軍である占領軍のもたらす化学物質は科学の粋と受け止められた。 おりから文字どおり食うに事欠く状態であり、これを克服するには食糧増産は何よりも緊急な課題であった。

化学殺虫剤は願ってもない武器となったのである。 もっとも、ちょっと記憶があやふやだが、DDTはイネを食害するニカメイチュウにはあまり効かないため、主用途は防疫用であり、農業用に大量に使われたのは同じく有機塩素系で1825年に合成され、やはり大戦末期から終戦直後にイギリスとフランスで開発されたBBHC(ベンゼンへキサクロライド。71年に失効)のほうだったと思う。
やがて、その低毒性有機塩素系殺虫剤のDDTやBHCが、環境内でなかなか分解せず、食物連鎖によって濃縮され、アメリカの海洋生物学者L・Cのいう「烏も鳴かない沈黙の春」を招きかねないことが明らかになる。

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